【超短編小説】或る虚言
夏場の30度を越す暑さは、三郎の体をジトついた体液で纏わせるには充分で、上体を起こす際に、敷布団が生命を得たかのように背中についてくるのが三郎の心をより億劫にさせた。
シャワーを浴びたかったが、直ぐに出なくてはならなかった。時計は14時を過ぎ、約束の時間まで20分しかない。 天王寺まではここから30分かかるので、既に遅刻だが、せめてもの誠意を見せようと汗ばんだ体にシャツを羽織ると、枷をはめられた死刑囚のような足取りで玄関を出た。
電車の中は涼しく快適だったが、密室の車内で自分の体臭が他人にどれだけの猛威を奮っているかを考えると憚れる思いで、やはり家に帰って出直そうか、いやでも・・・、などと考えていると気付いた頃にはもう動物園前駅だったので、待ち合わせ場所に向かう方が早かった。
天王寺で停車した瞬間と同時かというくらい早く電車を降りる。一目散より5秒は早いか、光速の僅かに遅いくらいの速さだったと、どうでも良い思いを巡らせている間は、他人の目は気にならなかったが、駅の階段を上りきり天王寺の地に足を踏み入れた時にやっと我に返り、違う温度の汗が頬を伝った。
三郎はこれから人を殺しにいくのだ。
そのことを改めてはっきり思い出してしまった。瞳孔がギンギンにひん剥いているのが自分でも分かる。
殺人は無論初めての事だ。警察に御世話になった事は一度も無い。共犯者もいない。計画、実行、全て自身で行う。
相手は誰でもよかったが、一番手をかけ易そうな奴を選んだ。つまり、独身で、両親も逝っていて、「生きてて楽しい事なんて何にもありゃしねぇ」が口癖で、競馬、競艇、パチンコは勿論の事、賭け事という賭け事に目がなく、かと言って博才があるわけでも無い。給料日から三日待たずに財布をすっからかんにしては、三郎の元へ金をせびりに来ていた、島田という奴だった。
殺しの動機が借金かと言えばそうでは無い。島田に集られた所で三郎の生活は困らなかった。仲も悪くない。先月末には一緒に阪神競馬場に行き、島田の当てにならないアドバイスを無視して適当に馬券を買って、島田が馬券を投げ捨てている横で、当たった馬券を見せびらかしてやったのは記憶に新しい。 .
ではなぜ私は島田を殺そうとしているのか。
それを理解するためには、自分。つまり岩形三郎の過去について語らねばならない。どうせこの後呆気なく殺される島田なんかに時間をかけ過ぎた。重要なのは過去。3年前に突如閃いた思惑、仮説、妄想の事についてだ。 .
着想のきっかけは、平安時代から鎌倉時代を舞台にした時代小説に出てきた主人公の奥義「三年殺し」だった。
三年殺しとは、要はカンチョウなのだが、重要なのはそこではない。三年殺しという言葉の響きから私はヒントを得たのだ。
「何かのきっかけにより、3年経た後、そのきっかけが発動し、人を殺すことは可能か?もし可能であれば、殺人罪に問われることはないのでは無いか」
そんな馬鹿みたいな閃きから3年。私はとうとう編み出してしまったのだ。
カンチョウを超えた究極の殺人方法を。
・・・ここで日記は終わっている。
この死者の結末はどうなったのだろうか。