第一話・濁水の中、高架下は睡蓮で
激しい雨が降っていた。突風に舞い、十円玉は有ろうかという雨粒が、目の前の風景をスノーノイズの如く覆っていた。
突然の事に通りの人達は高架下に駆け込み、ずぶ濡れになった衣服をハンカチやハンドタオルなどで拭くが焼け石に水だ。直ぐにグッショリと濡れ、絞っては拭き絞っては拭きを繰り返すが数分前の快適さには遠く及ばない。
僕も衣服は大分濡れていたが、焼け石に為す術無く、某然と佇んでいた。
傘を持って来なかった出勤前の自分をこれほど恨んだ事は無い。
周りにいる人達も僕と同じように心の中で過去の自分に中指でも立てているのだろう。
各々の表情は苦々しいの5カードである。
(余談だが5カードの部分はロイヤルストレートフラッシュでもなんでも良かったのだがジョーカーがないと出来ない役にしたのは理由がある。言わないが。アカデミー賞は確実だ。)
「どうしよう。終電過ぎる前に帰れるかな」
「てか電車走らないんじゃないの」
「ネカフェ行くか……」
「通り雨じゃねぇの?」
「もう少し待ってみる」
一時的高架下難民達がボソボソと呟く。確かに今の豪雨は凄まじいが、よくある通り雨のパターンなら数分待てば弱まりそうではある。だが携帯の天候アプリで見ても、今この局地的豪雨がどうなるなどと細かな情報は出てこない。一時間毎のざっくりした降水確立を緊張感の無いパーセンテージで示しているだけである。
途方に暮れるとはこの状況で使うのが正しいのだろうか?暮れなずむ街の光と陰の中去り行く貴方へ贈る言葉も有りはしない。あるならば僕にかけて欲しいものだ。海援隊よ。武田鉄矢よ。
腐ったミカンの体でふてていると、ヒョイと目の前に一人の高架下難民が現れた。もう仲間なんだぜ。モネの睡蓮画の様なケッタイな柄のコートに、エアマックスのプニプニだけ集めた様な奇妙な長靴を履いた女だった。
そんな印象派な服装からは想像も出来ない高潔な淑女の様な口調で僕に話しかけて来た。
「貴方、帰れないの?」
「ええ」
「私もよ」
「ええ、この雨ではね」
「止みそうもないわね」
「ええ」
「家は遠いの?」
「ここから自転車で20分。この雨だと押して帰らなければならないから50分はかかる」
「傘は?」
「あればこんなところで腐ったミカンはしていない」
「愚問だったわね。腐ったミカンかどうかはさておき」
「愚問を返すが、傘は?」
「あるわ」
「やはり愚問でしたね。ん?ある!?」
「あるわ」
「何故帰らないのですか?」
「雨粒を3mlほど浴びると死んでしまうの」
「なるほど、分かりません」
「だから、この雨にやられるとエンジンいかれちまうのよ」
「雨上がらないと決死隊って事ですね」
「ちょっと何言ってるか分からないわ」
「それはこっちの台詞だ‼︎」
‥‥‥このような問答を数十分はやっていたであろうか。高木ブー似の神様が二人のやりとりに飽きて、とびきりステーキでも食いに行ったのだろう。ふと我に返りスノーノイズだった高架の向うを見やると三日月がしっかりと夜を照らしていた。
高架下難民達もいつの間にか消えており、それぞれの家路へ、ネカフェへ、まだ濡れたままの衣服で向かったのだろう。
「‥‥‥止んでいたのか」
「そうね、私は少し前に気づいていたけれどね」
「言ってくれれば良かったのでは」
「貴方が私との会話に夢中になっていたから止められなかったのよ」
「僕は夢中になってなど!」
「帰り道はどちら?」
「‥‥‥あっちです」と東の方を指す。
「では私もそちらから帰りましょう」と、彼女も僕と東へと一緒に歩き出した。
「一緒の方角なのですか?」
「いいえ全然」
「帰るの概念履き違えてますよ」
「カエルのカイエン寝違えてマスオ?」
「えぇ~ー。輪島功一の斎藤佑樹がマスオになるわけないでしょ」
「そこツッコんでくれないと会話が破綻してしまうわ」
「そんな事はDOUDEMOIIのです。結局貴女の病状は一体なんなのですか?雨に対してスペランカー過ぎません?」
「そうね。私にとって雨はスペランカーにとってのちょっとした段差のようなものだわ。でもこうしてなんとか生きている」
「さぞ大変でしょう」
「外出しなければどうって事ないわ。一つ言うならショーシャンクごっこが出来ないくらいね」
「ショーシャンクごっこをやれないのは人生損してますね」
「ええ。生が無意味に感じるわ」
「そこまででは無いと思いますけど」
「強者の論理だわ」
「ごく一般的な普通の人間ですよ」
「普通が一番難しいのよ」
「そんなもんですかね」
「そうよ」
「‥‥‥治してみませんか?」
「は?」彼女は出会ってから初めてあどけない表情を見せた。
「治しませんかその病気。今日出会ったのも何かの縁ですから」
「医者に行っても、新興宗教に入信してヨガをしても、壺を買っても、黒魔術を唱えても、写経をしても、モンゴリアンチョップされても治らなかったのよ」
「医者以外は絶対無駄ですね」
「こんな頓珍漢な病気、普通に相手しても敵わないと思ったの」
「どっちが頓珍漢なのか」
「そんなに鳴いたらアガリづらくなるわ」
「花子それ頓珍漢ちゃう。ポン・チー・カンや。役牌あれば無問題です」
「岡村隆史が泣くわよ」
「鳴くのなら、それより鳴こう、糞麻雀」
「馬鹿言ってないで、前見て歩きなさいよ」
「いつにします?」僕は話題を戻した。
「何を?」
「貴女の煩わしい病気を治す手掛かりを見つけるの」
「そうね、来週の水曜日なんてどうでしょう?」
「分かりました。暇を取ります。まずは北海道でも行ってみますか」
「そうね。その次はオーストラリア縦断でもするのかしら?」
「それもいいですね。ところで」僕は歩くのを止め、彼女を見て言った。
「貴女の名前を聞いてもいいですか?」
「まず自分の名から言うのが礼儀でなくって?」
「あぁ、僕。名前が無いんです」さも当たり前の様に言う。
「‥‥‥」
「‥‥‥」
二人は静寂の中、またとぼとぼと歩き始めた。
「‥‥‥庵野雲」ぼそりと彼女が言った。
「駄洒落ですか?」
「ちょうどいいじゃない」
「ちょっと厨2が過ぎやしませんか?」
「庵野雲。贅沢な名だよ。権兵衛よりマシでしょ」
「有難く頂戴致します」
「分かったらとっとと歩きやがれぇ、ってやんでぇ」
「なんで江戸っ子」
「ああそうだ」杏が何かを思い出して言う。
「お近づきの印にこれをあげよう」
そう言って彼女は持っていた傘を雲に渡した。表は漆黒の傘だったが、開いてみると裏側にエイフェックスツインのセカンドアルバムのジャケットが書いてあった。印象派は伊達では無い。
「これ、無いと危険じゃ無いですか?」
「ううん。傘さしたってさっきみたいな雨が来たらどっちにしろ死ぬわ。雲に持っていて欲しいの」
「分かりました。ではこの庵野杏ブレラ、大事に使わせてもらいます」
「ふむ、苦しゅうない。面を上げい」
「面はずっと上がってますよ」(庵野杏ブレラ、会心の出来だったのに既読無視!)
「で、あるか。是非も無い」
「代官か信長かどっちかにしてもらっていいですか?」
クスクスと杏が笑う。笑い顔をみると僕よりまだ年下の普通の女の子に見える。
ファッションは別として。
考えてみれば、今日偶然雨宿りした高架下で初めて杏と出会った。にもかかわらず、まるで昔から知ってる気心の知れた友人の様だ。今までを短い走馬燈のように思い出す。すると冒頭のシーンでふと疑問に残る節があったので、一時停止ボタンを押して言った。
「そう言えば、どうして僕に話しかけてきたんですか?」
「少年。野暮な事を聞くんじゃ無いわい。山が有れば登るだろう?」
「キャラがどんどんブレてきてますね。僕は山だったのですか?」
「ピーンと来たのよ、もしかすると、雲は私の病気に興味を持ってくれるんじゃないかって」
「それまたどうしてでしょう?」
「主人公だからよ」
「メタ発言止めてもらっていいですか」
「他に理由が見当たらない。作者のプロットと設定の作り込みの甘さね」
「もう止めて!作者のライフは0よ」
名の無い僕に名前が与えられ、3mlの雨で死んでしまう彼女に僅かな希望の火が灯りはじめた頃、
10月の初めの少し肌寒い風を感じながら二人で歩いていた。馬鹿みたいな話をしながら。
一緒に1キロほど歩くと、「じゃあ、私こっちだから」と言って北の方へと歩いて行った。
「来週水曜北海道行くから、関空集合で!」
杏の背中に向かって言うと、彼女は振り向かず右手をヒラヒラさせた。それを見届けると、雲はようやく自転車に跨り帰路に就いた。帰りながら先程の走馬燈の再生ボタンを押して、思いを巡らしていた。本当に北海道に行くのだろうか?そもそも本当に雨に濡れて死んでしまうような病気などあるのだろうか?何歳なのだろう?どんなお笑いが好きなのだろう?僕がロングシュート蹴ったらどんな顔するだろう・・・・・・・・・・・・。
まだ、帰路に就いてそんなに時間は経っていなかった。最近の天気はコロコロと理不尽に変わる。ウソみたいな地獄のようにドス黒い雲がたちまち空を包み込み、しとしとからクレッシェンドして、雨は生命を帯びた弾幕の様に、人や街を流す。恐らく今TVで天気ニュースを見れば、僕の街の雨量は棒グラフでは表せないほどえげつない豪雨だと思う。
それでも僕は来た道を引き返し、杏と別れた道へと自転車を飛ばした。何度も滑ってコケたし、自転車では進めないほど浸水していた。
自転車も途中で捨て、ずぶ濡れで歩いて行く。あぁ、これでは冒頭と同じでは無いか。いや、もっと悲惨か。
嫌な予感しかしない。鼓動のベロシティが最大で鳴りすぎて変拍子になりそうだ。裏側がエイフェックスツインのセカンドアルバムのジャケットの杏からもらった傘をさしながら行く。僕が実はスクエアプッシャーの方が好きだったから神様はお怒りになったのだろうか?そんなアホな事を考えてしまうほど僕は気がかりでならなかった。
2キロは歩いたと思う。ずっと北に向かって歩いた。杏は見当たらない。家に帰っていたらいいが。連絡先を聞いておけばよかった。後悔先に立たずと言うが先に立ったら先悔では無いか、いや先に悔いるって矛盾してるしそれを言うなら杞憂じゃないかと、頭はグルグルとオーバークロックしている。知恵熱が今にも出そうだ、いや多分もう出てる。辺りを見渡しても一面濁水であまり来ない北側は土地勘も無い。途方に暮れるとはこの事かと、膝下まである雨水にばしゃりと座り込んだ。
すると目の前から見覚えのあるものがどんぶらこ、どんぶらこと流れて来た。
本物の睡蓮の様に優雅に流れて来たのは、杏のクセの強いコートだった。後から遅れてエアマックスのプニプニだけ集めた様な長靴も流れて来た。コートと長靴を手に取ると、雲は空を見上げて泣いた。さながらショーシャンクの空にの様に。ただ、意味合いは全く逆で、自由は何処にもなく、果てしない雨の中に、未知が声を枯らしているだけだった。
続く
第二話・藪からスティックまた来て死角。 - 手を繋いで文化は廻る