手を繋いで文化は廻る

世界のあらゆる文化は須く全て繋がっている。それらは互いに手を取り合い、共存共栄し、高めあい、人々をより豊かにする。私は自身が得た文化の一端を伝えていく事でその一助となりたい。

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【読書感想】辺見庸の自動起床装置

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もの食う人々で有名な辺見庸芥川賞受賞作。

 


僕は睡眠が下手だ。

 


のび太のように寝付きは良くないし、

寝起きはさらに酷い。

 


というのは言い過ぎにしても、

僕のせいでRAIDEN社の轟音の起床装置が、

何度虚しい独言を吐いたか分からない。

 


メタルギアソリッドのロイ・キャンベル大佐なら、

この哀れな起床装置の心中を察するに難しくないだろう。

 


元来人間という生き物は、

この世に生まれた後悔で泣き叫んでから

「食う・寝る・遊ぶ」で生きていく。

 


それがだんだん

「食う・寝る・働く」になり、

「寿司・鳥・風呂・寝ろ」になり、

やがて

「寝る・寝る・寝る」となる。

 


そんなねるねるねるねな人の一生に付き纏う睡眠という行為。

 


そこに焦点を当て、

「起こし屋」というアルバイトと、

自動起床装置なるけったいな代物との話が、

この「自動起床装置」である。

 


短い物語のなかに、

宙有のように判然としない世界観があり、

柔らかな真綿の中に、

ジャリジャリとした砂粒が撒いてあるような、

現代的なリリシズムと、

寓話の幻想性が同居するような不思議な世界観に、

自動起床装置という歪な現代性が交わることで、

現代文明の衰弱を衝いている。らしい。

 


睡眠の描写には死との同居が抽象的に有り、

例えば起こし屋のプロ・聡の妙に艶かしい声音は、

まるで死者を弔うかのようでもある。

 


自動起床装置の自動起床装置じゃない感も、

妙な馬鹿馬鹿しさの中に鉛のような気持ち悪さがある。

 


読み終えて、

結局何だったんだろうと夢でも見ていたような気になるが、

「おきてー。ゴウダー。さーん」がこびりついて離れない。

 


そんな話。

 

 

 

もう一編の迷い旅は、

詩小説的だった。

 


目の前の情景を切り貼りして、

見て、止めて、流して、

〜でした。〜しました。という語り口が、

やけに優しく入ってきながら、

兵器や銃が間近にあるような話で、

これも捉え所を見つけられないような話でした。

 


後付けの村田喜代子の座談会的解説が、

ひねった解説の仕方で面白かった。

 

 

 

また今日も変な時間に起きた為寝れなくて、

clubhouseで神の雫の作者とダイゴらの話を聞きながら、

本を読み終えてこんな時間になってしまい、

自動起床装置と自動睡眠装置を真剣に取り入れたい。

 


そう思いながら、やっと床につくと、遠くの方から、

「おきてー。イノウエー。さーん」と、

聞こえてくるような気がした。