手を繋いで文化は廻る

世界のあらゆる文化は須く全て繋がっている。それらは互いに手を取り合い、共存共栄し、高めあい、人々をより豊かにする。私は自身が得た文化の一端を伝えていく事でその一助となりたい。

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食べかけのアジフライの形が嫌いだ。

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食べかけのアジフライの形が嫌いだ。

昨日定食屋で
ゴーヤチャンプル定食を頼むと、ついでにアジフライが付いてきた。


ゴーヤチャンプル好きの自分からすればもうこれだけで茶碗3杯ものだが、

更にアジフライまで来たとなるとOOK、おかずオーバーキルである。

ツイッターで、アジフライを毎日食べられる環境が過不足ない平凡な幸福だと見かけたが、

僕にとってはゴーヤチャンプルがそれに当たるのではと反旗を翻す。

が、そのゴーヤチャンプルだが、
ゴーヤチャンプルと言っているのにゴーヤは脇役のように少なく、

チャンプルは玉子と豚肉と豆腐が我が物顔でのさばっており、もやしもいい塩梅に顔を覗かせていた。

豚肉や玉子という一線級の役者を追いやってゴーヤチャンプルとうたっているのにゴーヤが少ないとは一体どういう了見だ。てやんでえ。と内心憤ってみたものの、独身者の外食頼みの身の上でそんな我が儘を言おうものなら即座にゴーヤ供給が終わってしまいそうなので、てやんでえは心の奥底にラップしてしまいこんだ。一週間は保ちそうだ。

小さな幸福を噛み締めて、
便利なんだか不便なんだか分からない、ご飯おかわり器(仮)で2杯目をよそい、席に戻ると、食べかけのアジフライに目がいった。

そしてその有り様にそこはかとない嫌悪感を抱いたのである。

歯で噛みちぎった跡と、まだアジフライ然としている無事な箇所で構成されたそれは、
人間の暴力的で身勝手な欲望で不完全な様相を呈して、

さながら地球に対して人間が行った環境破壊の縮図の様であり、
食えば食うほど不細工に思え、
嫌悪感が脳を走る。

食い物なのだから、有り難く頂戴しなければしょうがないし、その人類の環境破壊、食への飽くなき探究心の結果でもあるアジフライを食べているお前は嫌悪感を抱く資格などないと諭されそうだが、
では一体この嫌悪感をどう取り除けと言うのだろうか?てやんでえ。

アジフライだけにこんな事を思うのはいささか平等性に欠けるのかもしれないし、
食べ物というものは得てして今回のアジフライ食べかけ嫌悪感問題と同じ問題性を含んでいる。

であるならば私達の出来る事は一つ。
せめて、最大公約数的な食事にとどめて、毎回の食事を感謝して頂く。

そう言った心がけが、
地球環境、生態系の保護に繋がり、
アジフライ食べかけ嫌悪感問題に終止符が打たれるのではないだろうか?

そうして、
アジフライを尻尾まで綺麗に平らげ、ゴーヤチャンプルを食べ終え店を出た。

見上げた月は欠けていた。
かけたることも なしとおもえばと
後の句だけ呟いて、
満ち足りた気分のせいで、
からしまっていたてやんでえが出たが、
生来江戸っ子でもなかったので、
別に良いかと道路脇の排水溝に捨てた。

まさかそのてやんでえが、
後日あんなことになるとはつゆ知らず。



続きません。