手を繋いで文化は廻る

世界のあらゆる文化は須く全て繋がっている。それらは互いに手を取り合い、共存共栄し、高めあい、人々をより豊かにする。私は自身が得た文化の一端を伝えていく事でその一助となりたい。

MENU

CLUBはcultureだと宣うのなら(所謂音箱と言われるクラブの話)

f:id:rikiyafrt:20190713180418j:plain

 

CLUBはcultureだと宣うのなら、
世の流れにそぐわなければならない。

Googleで「大阪 クラブ イベント」
と検索しても、パリピ御用達グリコの看板の様に手をあげるだけの簡単なお仕事しかしない名ばかりパンダが跋扈し、
脇目も振らず女の臀部を追いかける、バレンシアガの服とグッチのキャップを被ったハイエナと、
むせ返るほどの香水を撒き散らして若さの無駄遣いをした量産型ドンキ大好き女の群れ。

恐らく固定観念でしかないイメージも遠からず的を射ているのではないか。

そんなものはクラブじゃないと内輪でやいのやいの言っても、
外輪は興味すら示さない。

結局はお金の流るる所に人は集まる。
お金じゃないものを大事にするにはお金がいるというパラドックス

ならば、
変えなければいけないのはどちらだ。

たしかに、コメツキバッタの様にへこへこ営業するのは嫌だ。

カッコよくあってほしい。
武士は食わねど高楊枝の方が潔い。

その為の策は、もっとあるはずだ。

オウンドメディアを展開するなりして、
せっかくの本物を、マイノリティだけで楽しむのが正義という価値観を捨て、
求めている人に求めているものが与えられる様に。

世の中には魚がたくさんいるのだから。

その魚が食いつく様に、
撒き餌を与えるだけだ。

世の大多数は、
何でモノを知るのか。
何で動くのか。

もっとあるべき姿に、
もっと良い未来に。

個人的に、
そういう流れを作っていくオピニオンリーダーの立ち位置は、
NOONであってほしいと思うのです。

蜘蛛の糸が垂れている事を知らずに、
地獄を彷徨うのは白痴の所業。
知る人ぞ知るがもっと知られれば、
もっと生きやすくなるのでは?
と思ったりもしつつ、
やっぱり少数派が多数派に翻る事は、
面白味のない事なのかもと考えたりもして、
ひねもすしているうちに、
仕事に遅れそうになったので、
この辺で。