手を繋いで文化は廻る

世界のあらゆる文化は須く全て繋がっている。それらは互いに手を取り合い、共存共栄し、高めあい、人々をより豊かにする。私は自身が得た文化の一端を伝えていく事でその一助となりたい。

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【日記】ウェブライター、コピーライター

 

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四月の初めから仕事が無い。

職場は社員さんだけでまわしている。

言うまでも無いが、コロナの影響だ。

 

ウーバーイーツでもすれば凌げるだろうが、それもせず、

いい機会だと日がな一日中引きこもって、

読書と映画鑑賞とYouTubeとネットサーフィン三昧の日々を今日まで送った。

 

それらはちゃんと「意義があるもの」だとして自らを正当化していたが、

他人からすれば「暇つぶし」「現実逃避」している風にしか映らなかったのだろう。

確かに心の奥に、小さく無いサボり魔がいたことはここで認めよう。

と言うか、分かってはいるが、動けないのだ。

 

したく無い事は、どうしたって出来ない。

今を生きながらえる自転車操業(送業)に、僕の欲しい未来は無いのだから。

 

危機に瀕しても呑気だと手相占いの本に示された手のひらを見て、

妙に納得して、全くだらしなくてわがままな人間だと自分を嗜めた。

 

誰かが手を差し伸べてくれる可能性があれば、

それに頼ってしまう狡猾な自分が嫌いにはなれない。

開き直ってすらいる。

ダメ人間なのは、何も今に始まった事じゃ無い。

 

でも、こんなダメ人間の僕にも欲しい未来がある。

自己表現と資本主義の折衷案。

晴耕雨読の文化的な暮らし。

田舎と都市のハイブリッド。

そんな、自分のやりたい動き方には、PCを使った仕事が絶対必要なのだ。

 

気になる情報教材を買っては、ずっとうだうだとつまみ食いしては諦めてきた。

あの葡萄は酸っぱいに決まってると言い訳してきた。

ちゃんと実行していれば、今頃何者かになっていただろうか。

 

石橋を叩き壊して帰ったり、途中で引き返したり、

何度も何度も心の奥で渦巻いていた思い。

コロナ以前からあった漠然とした現状への危惧とリスクヘッジの為の手。

 

だから、この状況下は自分には追い風だと思った。

 

だから、文章の事、脚本の事、ビジネスの事、現在の事、未来の事、詩の事、音楽の事、SNSの事、拾いきれてなかった知識を吸収して、自分をアップデートして、

今に耐えうる人間になりたかった。

 

・・・・・・そしてまた僕はここに戻ってきてしまった。

 

また同じ門戸の前に佇んでいた。

 

問題点は分かり過ぎるほど分かっている。

実行力。実行力なのだ。

インプットではなく、トライアンドエラーなのだ。

頭では分かっている。

だが、どうしても二の足を踏んでしまう。

 

「こんな中途半端な装備で戦えるのか」と。

 

恐怖に苛まれる。知識武装を繰り返す。

 

その割には、よく知りもしない赤の他人を見下している。

何歩先にもいる誰かの揚げ足取りをしている。

 

醜い。

 

その誰かは僕より遥かに実行していて、

世の中に価値を振りまいている。

 

僕はどうだ。

 

オナニーコンテンツばかりで、

誰かの心を揺り動かしたりしただろうか?

 

社会やシステムのせいにしていながら、

せいにしていないフリをして、

また心の均衡を保つのだろうか。

 

この負のループを何度繰り返すのだろう。

そしてまた何度そこに酔いしれるのだろう。

 

もう終わりにしよう。

 

まず一歩を踏み出すのだ。

理想へ向かう為の僕の中では現実的な一歩。

 

クラウドワークスを1年ぶりに開いた。

 

キャッチコピーの案件を4つほど提案した。

 

記事作成の案件を見てリストに入れた。

 

WEBライター検定3級の動画を半分まで視聴した。

 

ブログの記事を4つほど更新した。

デザインを変えて設定を最適化した。

 

Instagramのブックカバーチャレンジの3日目を投稿した。

 

 

小さな小さなしょうもない一歩。

こんなしょうもない成果に一喜する自分はとても惨めだ。

 

また、諦めてここに戻ってくるのだろうか。

 

明日こそはと呟いて、泣いたのは一昨日だった。

明日なんかもう知らないよ。今日の勝ち。(甲本ヒロト・真夏のストレートより)

 

と、呟いてまた泣いた。