手を繋いで文化は廻る

世界のあらゆる文化は須く全て繋がっている。それらは互いに手を取り合い、共存共栄し、高めあい、人々をより豊かにする。私は自身が得た文化の一端を伝えていく事でその一助となりたい。

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愛とは

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愛とは真心なのだと思う。

 


何の打算もなく差出せる、

心からの行動を与える時、

与えられた時よりも、

気分が良い気がする。

 


愛を素直に伝えられた時、

愛を素直に受け取った時の、

心の交流は、

何物にも代え難い素晴らしさがある。

 


心同士が触れ合った時、

そこには言葉も必要だけれど、

言葉以上の豊かさが、

声音や表情、文面などから滲み出る、

色んな角度から増幅された愛が、

一心に向かう魚群の様に押し寄せ、

私の大海原を駆け巡る。

 


優しさの世界は平和で、平穏だが、

その環境は、

自分の心を強く持って保たねばならない。

砂上の楼閣は、

最新の注意を払って進まねばならない。

とりわけ足元は救われ易く、

出鼻を挫かれることもある。

 


終わりは一瞬だが、

終わりを終わりと思わず、

根気強く粘らねばならない。

どう考えても要らぬのであれば、

捨ててしまっても構わない。

どうしても取り戻したいなら、

形振りを構ってはならない。

 


泥臭い正義を掲げよ。

大義に生きよ。

 


愛を持って生きるのが人間で、

愛を持った人間しか、

人間とは言えない。

 


欲情だけで他人と交流するのは動物のする事で忌諱すべきである。

 


他者を尊重し、思いやれる様な

正しい人間愛のある人とだけ、

密度の濃い時を過ごせば良いし、

自分もそうなれる様努力すべきである。

 


そして、これを法律とせず、

自分の心で精査して、

腑に落ちた時にこそ、

行動に移すべきである。

 


ただ世の中の人間は忙しなく、

本来の安らかさを見失っている人も沢山いるのだから、

それは実態ではないのだと理解するべきだ。

 


動物に落ち過ぎず、

かと言って下に見るでもなく、

正しい距離を図り取って、

交流すべきだ。

 


自分の気の大きさは身の丈に合わせるべきだ。

見栄を張っても良い事はないし、

心の知能指数の低さを露呈するだけだ。

 


愛を持って接しても、

返ってこない事もあるが、

返ってこない事に怒ってはならない。

 


元々返ってこなくても良いと思って、

掛捨てでやらねば、

それは打算に成り下がる。

 


打算が悪ではないし、

やらない理想愛より、

虚偽の行動の方が遥かに価値がある。

 

 

 

愛は真心なのだと思う。

だから美しく、

心を打つのだと思う。

 


打つ為に、打たれる為に、

先ずは投げねばならない。

そして投げ続けなければならない。

 


最後に笑えば、

どんな日々も布石。