手を繋いで文化は廻る

世界のあらゆる文化は須く全て繋がっている。それらは互いに手を取り合い、共存共栄し、高めあい、人々をより豊かにする。私は自身が得た文化の一端を伝えていく事でその一助となりたい。

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取るに足らぬ背景の雑記

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  取るに足らぬ背景の雑記
 
 気が付けば何時も同じ場所を順繰り辿っている。それは比喩的であって、時間は間違いなく進んでいるし、着るものも部屋の景色も一様ではない。いわゆる精神性の問題であって表面的なものではない。何かしなければと頭の中でタスクを捻りだしてみるが、行き着く先は数年前からしているテレビゲームに行き着く。カチャカチャと数十分もプレイすれば忽ち興も冷め、試合に負けたのを区切りに電源を落とす。何の生産性もなく、無駄な壁当てを一生やっているようなものである。


 年齢を重ねると未知はだんだんと既知となってくる。それでも人一人で知りうる世界の知なんてたかが知れているとは思うが……。


書を捨てよ。街へ出よう。なんて昔の人は言ったが、外へ出てもまず自分自身がこの様な体たらくでは何者にもなりえない。何者かに成りたいかと言われれば、それは確かにひとかどの人物ぐらいにはなってみてもいいとは思うが、別段その事に熱中できるほど成り上がり志向は持ち合わせていない。


 さて、タイトル通り閉鎖的な独善にも成り得ぬこの語りは一体何になるのであろうか?


今私の頭の中には夥しい思考の混沌、乱雑な思念の塊が渦巻き、禅問答の答えを導きだそうとするくらい無駄な、糠に釘、暖簾に腕押しな塩梅で意味もなく思考は回転を続けている。頭の中に、何年も蓄積した水場の排水溝にこびりついたおぞましい黒い物体があって、正常な思考を阻害しているかのようだ。


 頭の中のごみを捨てるには人生のゴールを決めればいいと何かの本で読んだ。人生のゴールとは一体何なのであろうか?結婚や金銭的な成功、自由の獲得など凡庸な頭ではそれぐらいしかゴールを描くことができない。そして面倒なことに、そんな凡庸なゴールに自分はゴールとしてコンセンサスを得る事が出来ないのであるから更に性質が悪い。かといって、じゃあお前のゴールは何処にあるのだと問われた時にこれが私のゴールですとはっきりと申し上げることも出来ない。この文章でさえ終わりを見出せてはいないのに、いわんや自分の人生おや、である。


換気扇の下で煙草を燻らせ、狭い自室を一望すれば雑念の溜まり場と化していて書きかけのムーンの主人公と、読みかけの哲学書が所在なさそうにこちらを見つめている。そう言えば今日は少しばかり風邪気味で頭がぼんやりしている。だからどうだとでも言うわけではないが、ゴォォと空気を吸い込む換気扇の音をバックミュージックに今カタカタとアウトプットを続けている。少しでも頭がスッキリすることを祈って。


思えば、数年前にも同じ題材で曲を作ったことがある。平成最後となっても私は学習していないようだ。「手を繋いで文化は廻る」というブログに歌詞だけぞんざいに載せている。当時は音楽活動もやめていて働き詰めの毎日を送っていたがそれに嫌気がさして、現状を打破したくて書いた。堂々巡りは私の専売特許と言っても過言ではないが、では無理矢理打破したところで、そこには打破したいという打算が在る訳で、そんな邪な思いを胸に出かけたところで、出会いや発見などあるのだろうか?試してみたこともあるが、うまくいった試しもなく想像した通りのずさんな結果しか待ち受けてはいなかった。


駄目な時期と言うのは誰しもにあると思う。
バランスの法則と言うのがあって、良い時があれば悪い時もある。人生楽あれば苦がある。


昔の時代劇は人生における大事なルールを教えてくれていた。世の中の半分の人間が笑っている時、残りの半分は泣いているって言ってたのは誰だったか?思い出せないので自分が言った体にしておく。赤ちゃんが生まれた時泣いているのはこの世に生まれてきたことを悔やんでいるからだと言ったのはシェイクスピアだったか。うまい事言ったものである。


どうでもいい事も挟んだが、バランスの法則を知っておくことは人生を少しばかり生き易くしてくれる。これは逆にダメな時期でもそれを乗り越えることが出来るという捉え方もできるし、反対に良い時には、これは長くは続かないと兜の緒を締めることも出来る。世の中は絶妙なバランスで出来ていてこの黄金律はきっと不変なのだろう。そう思う所以は、過去の出来事をこの法則に当てはめてみると思い当たる節が幾つもあるからである。


 さて、ここまで書いてみたけれど、一体この雑記はなんと形容すればいいのだろう。恐らく駄文というほかないのだろうが、それでも私にとって決して小さくない一歩が踏み出せたのではないだろうか。あなたにとっては本当にタイトル通り取るに足らないものになってしまったことでしょう。なんの生産性もない、壁当ての様な行為。世の中に踏み出すまでもう少しばかりかかりそうです。 終