手を繋いで文化は廻る

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仮想通貨の話とオファー

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思考の沼にハマって目が冴えてしまったので、
今のうちにアウトプットしてしまおうと思います。

最近仮想通貨とマーケティングに興味があり、
たまに読んでいたビジネス系のメルマガに、
偶然そういう内容の無料オファーあったので、
「そこら辺の薄い内容の本で知ってもあれだし、
ちゃんと勉強しよう」と思い立ち登録。

結果、まだ途中も途中なんですが、
無料コンテンツの動画セミナーがえぐすぎる。
普通のプレナーならこれで10万ぐらいとってるレベル。

ビジネス書やネットの教材も割と読むんですが、
次元が違う。
何でって、
プレナーの経歴が元塾講師の億単位の事業主の仮想通貨億ホルダーだから。

情報の質もそうだし、伝え方もうまい。

仮想通貨に関しては概要のみですが、
「決済システム」という情報だけで、
ある程度自分なりに仮説を立ててましたが、
動画を見てメモを書くこともなく一気に理解できました。

結局仮想通貨は今今ではリアルマネーより使う利は少ないですが、
今後数年で状況は変わり、
世界中の誰しもが仮想通貨で買い物をするようになるでしょう。
買い物するのは当たり前で、
さらにその先は本当SFがとうとう現代にって感じ。

マネーゲームの色合いのイメージが僕も強かったんですが、
本質的には、「理想の未来の実現」の為の投資だと思います。

三者を介さない決済システムがなぜ革命なのかは、
銀行や国の状況に振り回されない価値の保持が可能なのと、
細かい話ですが、24時間365日お金が使える様になるのは、
単純に便利。

インチェックの流出の件がありましたが、
そんなんの前からビットコインなんかでも、
散々事件ありましたし、
それでも儲かれば手のひら返しで万歳する、
気持ちの切り替えの速さは何なのでしょう。
駄目な時のインテル期の長友か?

ビットコインオープンソースなせいで、
仮想通貨の理解に支障が出てましたが、
他は企業とかがしっかり開発してた。

ちなみにビットコインはオワコン化が進むそうです。
まぁ言われなくとも、皆が知り始めた頃には遅い。

マネーゲーム的な動きの銘柄はさておいて、
仮想通貨の価値基準は「利便性」なのではと仮説を立てています。
入金が早い。どこでも使える。商品やサービスの割引がある。など。
それによって価値が変動するかと。
株の四季報なみに常に仮想通貨の情報を追わないと、
投資も簡単ではないように思います。

なんにせよ、将来的には仮想通貨は一般化すると思うので、
早くに正体を知るのもいいのではと。

 

そんな感じです。

 

ちなみに僕が見てるのは、これです。(アフィです)

無料オファーと言われるものですが、

無料の所だけで上にも書きましたが知識量がめっちゃ増えます。

マジで中身見て欲しい。面白いから。こういう話しできる人欲しい。

 

文章の書き筋 その1 ~FunnyとInterest Funny編~ 

 

文章には書き筋というものがあり、

書き筋とはまぁ、その人の文章における癖であり個性の部分である。

これは僕自身の解釈なので正しい表現がほかにあるかもしれない。

 

僕は書き筋を、

無意識的か意識的にかは分からないけれど、

よく使い分ける。

 

それは、自分の思っている事、伝わってほしい事を、

出来る限り相手に理解してもらえるように。

という思いからきている。

 

例えるなら、WAVの音源をMP3などにせず、

WAVのまま相手に送るイメージ。 逆に分かりづらいわ。

 

あと、自分をどう見られたいか?

という面でも書き筋を変える。

 

賢く見られたい。面白いと思ってもらいたい。

誠実な人だと思われたい。

という欲求の現れだと思う。

 

こういう事を書くと、

僕の文章が全てそういう風な見せ方をしている。

というフィルターがかかってしまうので、

本当は言わない方がいいのですが、

 

学歴コンプレックスや、

薄っぺらい人間性コンプレックスがあるのは事実なので。

 

 

・・・・・・こういう事です。

おわかりいただけただろうか笑

 

 

書き筋の話に戻りますが、

僕が主に使う書き筋は2種類あります。

 

FunnyとInterestです。

 

前者は、ネタ系の文章を書く時、

後者は、ノウハウとかビジネス系の話をする時使います。

 

その他にも、分析すると色んな要素が出てくるし、

2つの要素が混ざってるもの、どっちとも言えないもの、

小説っぽいものとか、様々です。

 

 

Funny系の書き筋の肝は、「とぼける」です。

 

お笑いの漫才やコント、Twitterの面白い文章、

時事ネタ、アニメや漫画や歌詞のパロディ、

などを使ってずっとボケ倒す。

というパターンが多いです。

 

イメージは、お笑いで言うと、

ごっつええ感じの一人ごっつとか、ガキの使いのフリートーク

バカリズムさんのネタ、後は色んな芸人の大喜利、フリップネタ、etc...などです。

 

大真面目に、嘘をさも本当にあった事の様に言う。

世間一般の常識・共通認識を理解したうえで、

その常識をひっくり返したり、ひねくり倒して言う。

 

少し抽象的かもしれませんが、

とぼけ方の本質はここだと思います。

 

 

あと意識しているのは、ドカンと笑わそうとするのでなく、

クスリとくるような面白さを心がける事です。

 

やはり俺の青春ラブコメは間違っている、

というラノベ渡航さんとかが、

この「とぼける」文章の使い手です。

分かる人にはわかるアニメパロの文章がよく地の文に出てきます。

 

とぼける時気を付けないといけないのは、

「今僕はとぼけてますよ」と、

暗にアピールしないといけない事です。

 

それをしないと、

ただの何を言ってるか分からないアホになってしまいます。

 

ただ、文章の流れ的にとぼけていると悟られたくない時は、

文章の最後に、「冗談でした!テヘペロ☆彡」

と、お茶を濁してしまうのもテクニックの一つです。テヘペロ☆彡

 

 

結局、Funny系の書き筋の肝と言うのは、

つまるところお笑いでよく言われる「緊張と緩和」です。

緩急のつけ方です。

 

笑わせよう笑わせようとしている文章ほどサムいものはないので。

 

 オッス!オラ天津飯‼‼

今日もバチクソやってやっぞ!!オイ‼‼

 

みたいな。

ん?でもこれ一周まわって面白いな。

・・・・・・人それぞれですねぇ。

 

 

もう一つの肝は、「自分が面白いかどうか?」です。

 

書いてて自分でも笑ってしまう様な文章は、

そのネタを思いついた時や、

書いている最中ずっとニヤニヤしてしまうような文章は、

大抵反響も大きいです。

 

ネタが降ってくる事って年に何回かしかないですが、

そういう時ってするする書けるんですよね。

普段何時間もかけて文章書いてるのに。

 

 ・・・・・・というか、

Funnyの肝どんだけ出てくんだろう。

肝だらけやん。お酒強そう。

 

肝の価値が薄まってるので、

ここら辺にしておきます。

 

Interestについてはまた次回という事で。

 

何か思うところあれば、

気軽にどうぞ。

 

ここまでご覧いただきありがとうございます。

では、また。

らしさ

 

秋を通り越してきたのではないかと言うくらい肌寒く、

先週など上はTシャツで外をうろうろしていたのに、

今日など、その上にセーターを着てもなお寒い。

 

本腰を入れた冬装備をしてしまうと、

オーバーキルしてしまいそうで、

ここで本気を出してしまって、

いざ冬が来てそれを超えられるのが恐くて、

少しだけ余力を残した服装で過ごして風邪をひくというのが、

大体この季節のパターン。

 

僕は恐らく、人生でも、

このような事をしでかしてしまっているのではないかと思う。

 

つい今日も、バイトでそのような事で叱られた。

完全に僕が悪い。言い訳のしようもない。

 

最近なんだかやる気が起こらなくて、考え事ばかりしている。

取るに足らない事や、重要そうだけれどまとまらないもの。

 

解決策は、とうに分かっているのだが、

分かっているのにやれないのは、

本当の所、分かっていないのと同義である。

 

やらなければならない事、やった方がいい事は、

それこそ山の様に在る。

だが、マストのタスクになった途端、やる気がだだ下がる。

 

「仕事」と認識した途端、急に体が重くなってしまうのは、

僕の悪癖であり、性癖であるが、

この場合の解決策は、

「遊び」と同じ感覚で出来る仕事を探すことである。

 

「好きこそものの上手なれ」は世界の真実の一つだと思う。

 

ある行動において、

努力をしていると自分が認識してしまっている事と、

好きで主体的にやっている事。

 

どちらが成功するだろうか?

 

絶対に後者である。

 

実際に得る経験値は等しくても、

そこにかかるエネルギーは、

車で例えると、ハマーとプリウスくらい違う。

 

しかし、僕の場合問題なのは、

目的地が分からない事である。

 

ここでもう少し僕の話をすると、

僕は音楽活動を少しだけしています。

 

少しだけ、の活動内容は、

弾き語りの方のサポートと、

SNSに自分のプレイ動画をアップする事と、

カバーバンドを緩く活動しているくらいです。

 

お金を頂くのはサポートの時、偶にだけで、

ほとんどは無報酬です。

 

SNSは、まず自分が楽器を弾けるという周知と、

どのくらい技術があるか、

どんな音楽が好きかという事を伝える為に使っています。

ここでも、マネタイズポイントはありません。

 

カバーバンド、以下同分です。

 

僕は、音楽で生活していきたいのだと思っていました。

そう自分に思い込ませていました。

 

まぁこれも堂々巡りのエンドレスループで、

5年位前も同じような事を言って、

ネットビジネスとかやったりしてた(汗

 

その回り道も無駄ではなかったと、

5年後の僕、つまり今の僕は遠い目をしながら言うけれど、

実際、現状はそんなに変わっていません。

 

一つだけ最近気づいて、言えるのは、

「自分の好きな事で他社貢献」したい。という事。

 

あともう一つは(一つじゃない)

「他人にケツを蹴られないとやらない」という事。

 

もちろん、自分が納得して、

自らのケツを差し出すくらいの事でないと、

アバズレではないのでやりませんが……笑

 

SNSの件も、

自分の頭の中にはあったけど踏み切れなくて、

人にケツ蹴られてやっとやり始めました。

 

誰かに喜んでほしい。

笑顔になってほしい。

その心は多分嘘じゃない。

 

喜ばすためになら、道化にだってなれる。

 

ただ、確信の無いまま道化になるのは不安になるのだ。

 

暗闇の中を行くのは誰だって怖い。

 

見えすぎる白昼夢もつまらないので、

すぐにさめてしまう。

 

音楽を好きな「だけ」ならよかった。

 

ブルージャイアントの主人公の様に、

わき目もふらず楽器をやり続ける事の出来る様になりたかった。

 

自分が情熱を持って取り組める何かが、

未だ分からない。

 

自分らしく生きる術が、

未だ分からない。

 

わからないけれど、

まずは、

PDCAサイクルがPPPPになってる自分を卑下せず、

許してあげて、

 

出来る限り誰かの為に、いや、

あなたの為に、

Dをしてあげられたら。

 

そんな風に、今は思っています。

 

ころころ考えが変わるので、

現状はこんな感じで。

 

とりあえず今日はここまで。

 

また、何か書くと思います。

その時はまたあいましょう。

ご覧いただきありがとうございます。

 

では。また。

反面教師教育論

本田健さん曰く、
人間関係とは4つのパターンがあり、
磁石のS極N極よろしく、
2づつが対になっているという。

 

対になったポジションは、
場面ごとに表裏ひっくり返ったりもする。

 

なるほどこれは人間界の真理である。

 

無能だと見下す上司に、
頭を垂れる部下。

 

ポジティブな発言ばかりを発する人間に、
それを受け止めないネガティブバリア人間。

 

これらはまた逆も然りである。

様々な人格があるが、
大まかにこのような例に、
そった経験を誰しもが感じた事があるはずだ。

 

これは、他人と相対する時、
集団に混じるとき、
自らが感覚的に、
自分のポジションを探り、
不和が起きない程よいポジションを取るからだろう。

 

空気を読むことと同義であるといっても、
過言ではない。

 

相手が攻めてくるなら、
コチラは守るし、
相手がヘタレ受けなら、
コチラは強気攻めだ。

 

成る程、人間関係は、
BLの役割にも似た部分があるのではないかと、
最近では思う。

 

またこの事から察するに、


他人にこうなって欲しい、
部下に成長して欲しい。

などコチラの意図した通り、
人を動かすとなれば、


自分が、
彼らに求める理想とは逆のパターンを、
演じる事によって可能になるのではないのだろうか?

 

題して反面教師教育論とでも言おうか。

 

自立を促したければ、
自分が自立しない依存した生活、行動を起こす。

 

主体性を持たせたいなら、
自分は、右向け右の風見鶏。

 

経営者意識を持たせたいなら、
自分はだらしないギャンブラーのふりをし。

 

軟派な人間にしたいなら硬派に。

 

受けにしたいなら攻めに。

たけのこにしたいならきのこに。

 

また、
自立心旺盛な両親から生まれた子は、
どこか依存傾向にあるし、
何かに依存しがちな親の元では、
子はしっかり育つものである。

 

明日の生活さえままならぬ家庭の元で、
ニートなんて出来るわけがないのだし……

 

生きるために背に腹は変えられない。

 

とかく子は、
親の背を見て(こうはなりたくないと思い、
そうならないように)育つというきらいがある。

 

子は親を指名などできないので、
現状をどうあっても享受しなければならず、
少なからず、
尊敬と軽蔑の入り混じった目で、
親を見たことがあるだろう。

 

それは、親と対になったパターンで、
人間関係を構築しているからだ。

 

他人がクズに見えるのもキリストに見えるのも、
単にポジションの変化による、
視点の変化にすぎない。

 

コレをふまえると、
下の世代の教育、子の教育方針は、
堕落に堕落を重ね、馬鹿で、
女に狂い、酒に狂い、賭け事に狂い、
新興宗教に狂い、家庭を顧みず、愛も注がず、
バンに入りきらないほどの裏金を貰い、
悪魔の形相で怒り狂い、DVをし、
媚び諂い、金を悪とし、
従業員を路頭に迷わせ、
高額な備品を無駄に買い込んで、
「私利私欲のために使ったとでも?」とか抜かし、
「誰でもよかった」とか抜かし、
嫉妬し、羨望し、嘲り、恨み、
あらゆるクズの総纏めの様な人間になろう。

 

これで、最高の人生を歩むことが出来るだろう。


実行した人間以外は。

 

直接的な愛情表現なんてのはうそ臭い。
偽善的な自己犠牲も同情しか誘わない。

 

ここまで自分の人生を悪事に捧げられる人間にこそ、
僕は人間味を感じ、最上の愛を感じ得る気がする。

 

世の人間が、
良識溢れる賢者や善人や成功者ばかりでないのは、
無意識的に未来を思い、
悪人になっている人間がいるからではないだろうか?

 

PS.

本田健さんの本と三島由紀夫の不道徳教育講座。

やはり俺の青春ラブコメは間違っているの八幡。

この3つを足して着想したのがたぶんこれ。

 

親の背を見てそれとは逆に生きるよねってのは、

松紳かなんかで島田紳助さんが言ってて。

そうだよなーって思ったから。

 

人間関係におけるポジショニングを理解できると、

自分を客観視して、他人に思いやりをもって接する事が出来る。

 

今相手はこういう風になってるな。って理解しながら接するのと、

なんであいつはあんな事言うんだよやるんだよって、

理解できずに接するのは自分へのストレスの軽減とか、

関係を良好に保つためにこの考え方はいると思う。

 

何か思うところあれば、

気軽にコメントくださいね!

 

またね!!($・・)/~~~